いろいろあったが…

8月最後はあまりブログ書けていないが、時間が惜しいので仕方ない。
この日のところにまとめて書いておこう。
まずこれはブログであり、日常やニュースや作品などに感傷なり感想なりを述べるものなので、日記的な事実のみの記述になる部分は今回は省略する。
大勢でいるということは、あまり深く考える時間がないということでもある。
もちろん考えたことも考えるべきこともあったが、もっと重要なことが起こったためそれについて記述しておく。


まず第一に、夜36時間ぶりに帰ってきて、自宅の敷地を半分ほど進むにつれ、俺の直感は風雲急を告げていた。
なんだか空気がおかしい、重暗い気がする。
だがそんな予感も、廊下から顔を出した母親の顔を見るまでの話。
その逆光で見えないはずの母の顔を見た瞬間、俺は完全に悟った。
何か良くないことが起こったのだと。


部屋で少ない荷物を片付けてしばらくすると母はやってきた。
覇気が感じられないのは気のせいではない。
母は、楽しかった?と聞くものの、深くは掘り下げずに二言三言尋ねただけで去って行った。
…こいつはいよいよヤバイ。
母と上の妹は共通点として旅の話をとても好む属性がある。この時点の俺に対してローテンションなんてありえない。それにまだ時計の針は21時だ。
加えてその原因を語らずに帰った。これはまだ話す相手への影響が確定していないためだ。
俺は基本的に親に大反対したり罵倒したりといった負の感情をもろにぶつけることはない、もちろん多少の衝突は想定の範囲内としてあるが、必死に隠し通すリスクを負ってまで隠す必要はない。となれば、この場合は俺にも影響があるかもしれない出来事、という意味だ。
気を遣っている。と。多分影響度は未確定だがすぐ確定するもので、そしたら話す。という感じ。
急を要しないということは身内の病とかではないようだが…。とにかくすぐ話していかなかったのはヤバイ。それは一過性の出来事ではないという意味でもある。少なくとも明日聞いても悲しいと思うような出来事。
何かは分からないけどとにかく明日だ。そう思って早めに長めの睡眠を取った。


明けて翌日。十分睡眠を取ってバイトしたあと、部屋でPCを使ってるところに親はやってきた。
ベッドに座って一呼吸、話すのに気合いが必要なのはわかっているので待つ。
結局のところ、身内が一人お転婆やった。と。
現在はかなり安全地帯、しかし自由の無い場所にいるのだと。


母はそのことにとても衝撃を受けたようだが、俺には今日一日で多少の予想がついていたためショックは薄い。進学校にいたため、あっちの世界の知識だけは同世代基準で持ってるが実感が薄すぎるせいもある。
親は付け加える。隣のヤマダさんが言うにはあんたの就職には影響しないはずだ。と。
チィッ…それで昨日はッ…。そんなことまで母一人で気に病む必要はなかったのに!それは俺に押し付けてくれてよかった!
ともあれここから母を慰めるのは俺の役目だ。
よく娘は父と、息子は母と結びつきが強く衝突しにくいと言われるが、我が家は結構典型的にそんな感じだ。
俺は普段は滅多にしない昔話をする。
幼少期、自分が持つ人生最初の記憶から始まり親戚関係の思い出を語り、親の育て方が悪かったとかそういうものではないことをやんわりと伝える。


用はあいつは要領が悪すぎるのだ。だから何事もうまく回らない。
俺なんて要領の良さだけで渡ってきたようなものだ。
俺は人生のほとんどを手を抜いてすごしていると思う。
それでもこうして結構うまくやっている。
手を抜ける場所が分かっているからだ。
勉強だってバイトだってそれ以外だって。短期テストが悪くても進学できる最低限で最大限の勉強、他の誰かと特別違うことをしているわけでもないのにマネージャーに推薦していただけたり。チャンスとそうでない場所の見極めがしっかりしている。勝算のない勝負は極力避けるような。
時たましか使わず温存気味なだけあって、俺の本気は自分でも怖いくらいなんだけどね。…あー今俺の負の本気が思い浮かんだ人テラカワイソス。


母との話は実に3時間以上にも渡り、俺は自分の家系図のうち聞いてはいけない部分だと感じてずっと黙していた部分の真実を知ったりもした。
こうして見ると普段出くわすいとこ家族の親戚以外にも、とてつもなく広い血縁があると知った。
どうやら俺には可能性だけならハトコがたくさんいるかもしれないし。
何はともあれ、父とも祖母ともできないであろう話を持ち出すことによって、というかただその人にのみ話せる話をすることによって、信頼と親愛の情を示すことができる。
ちょっとした心理テクニック。まぁ本で見につけたわけじゃなくて自然に身についたものだから珍しいものではないかもしれないけれど。
少しでも支えになれば良いが…。


で、問題は。
あやつが帰ってきたあとの道ですよね。